51章 ほんのわずかな麻痺
上へ行ったり左にそれたり少し下がって右へと空中散歩の末に解放されたのはどこかの洞窟に入ってからだった。
「…………それで? ここはどこなのよ」
パクティに問う。別に問わなくても、ここが何なのかわかるけど。
この薄暗い洞窟の中には何もいない。今のところは、ね。
でも先が見えないくらいに道が長いってことは進む先に何もいないとは言い切れない。
「見てわかるだろ? ちょっとわけありの洞窟だけどな」
「あ、そ……」
まあ、こいつに限って今更せこい真似もしないでしょ。一応、力は圧倒的だったわけし。
初めにやりあった時は五対一で魔法も効かない上に余裕で遊んでたって感じだったしね。
あの時は魔法が効かなかったことに混乱して頭が回らなかったけど。
今の状況はあたしとこいつだけ。何かしでかすなら出会った瞬間行動を起こしてるでしょうし。
一瞬で終わらせれる。その気になれば。我ながらそんな状況に危機を感じないとはおかしいわね。
どこだろうとお構いなしに、あたしが一人でどこかに居たらこいつは現れる。
そういうことに慣れてきちゃってるってとこかしら。慣れっていうより、麻痺なんでしょうけど。
行く先々に出現するから、なんだかこいつに踊らされてるんじゃないかって気がしなくもない。
パクティが洞窟の中へ進むのについて行きながらあたしは考えをまとめようとした。
異世界で朝の散歩帰りにこいつに出会って半植物の人間退治をさせられたことがあった。
買い物の帰り道にばったり出くわしてカマイタチがいるだの言われたし。あれは警告だったけど。
でもカマイタチから聞き出した情報で向かった先で飛竜を斃すことになるわだったし。
あの時は生涯忘れられない記憶の一つになったわ……少し、カマイタチ3匹がうらめしい。
そういえばあの件はいまだに謎が残ってる。倉庫で倒れてたあの人間は結局何だったのかしら。
あたし達が来る前に虫の息状態だったし、明らかに誰かの手にかかってのこと。
刃で切り刻まれたような傷跡を受けてた。でも、多分あれは普通の刃物じゃ無理なはず。
深い傷を負ってて誰が見ても助かることはないってことは、傷が深いことを血だまりが証明していた。
そんなにひどい傷を、いくらなんでもカッターじゃできないはず。刃が折れるかも知れないし。
包丁でならできないことじゃないかもしれないけど……犯行の後も持ってたらかなり不審でしょうし。
もし挙動不審で警官に荷物を探られたら、血痕を完全に拭取っていてもルミノール反応からは逃れられない。
そんなことより、一番の疑問は遺体が消えたことよ。これは絶対起こり得ないことだったのに。
魔法を使わない限りは。現代に神隠し、しかも死人がそんなことに遭遇するわけない。
そうなると、殺した人間が遺体を消したということ。無実の人間がそんなことするわけないし。
……魔法を使えてなおかつ、殺す必要があった人物は誰? そこが重要なところ。
これがわかれば、誰が犯人で目的なのかも明確になる。でも、ひっかかる所があるのよ。
あたし達にしか光奈は頼んでないはずだし、レリのお姉さんが命令されて誰かを殺すとも思えない。
もともとこの世界の人だもの。もし頼まれてたとしても捕まえるくらいに止めるわよ。
染みついた倫理観はたかだが数年異世界にいたくらいで、変わったりしないでしょう。
あたし達にしか頼まれていないはずの事。光奈以外にあった情報源はカマイタチ3匹だけ。
清海と会うより以前にカマイタチが誰かに接触したとは思えない。弱肉強食という魔物の世界。
もし殺人犯と接触していたなら、あたしを襲う必要は消えたはず。
あの3匹の情報ではあたしを襲えって命令だった。もともと、カマイタチは誰かを殺したりしない。
イタズラ好きなだけにすぎない妖怪なんだから。そのことはあたしも信用した。
要点をまとめてみるのなら、それは三つ……違う、四つ。
殺さないと犯人が困ることは確実だったこと。魔法を使える可能性が高いこと。
そして……あたしに死なれるとよくない、もしくは死んで欲しくないってこと。
最後に、風の妖怪が一般人には見えない状態でもカマイタチを見ることができる人物。
最初の事をのぞけば清海があてはまるけど、清海を疑うなんてどうかしてるわ。
勘違いも良いところ。逆に殺したらこっちが困るんだから。当然、犯人からは除外。
そうと考えれば他の三人、美紀、レリ、靖も当然除外される。ラミさんはあたしの生死は気にしないんじゃない?
消去法でいくと最後に残るのは薄い可能性だけど、一人だけしか考え付かなかった。
今、目の前にいるこいつが……パクティしか考えることができなかった。
パクティにはカマイタチが見えていた。おそらくあの時カマイタチがどこから来たのかわかっていたはず。
へらへらしていようが魔物を束ねて操るんだから直接手を下さずとも十分犯行は可能。
それに……あたしに警告をした時に呟いた言葉が、決め手に思えなくもなかった。
……でも、一つだけ確信できないのは何故あたしに死なれたくないのか。
無理やりにこじつけるのならこいつは不自然なくらいあたしには親切なのよ。
敵に武器を与えるのもおかしい。認めたくはないけど、なかったら一方的にやられて終わる場面もあった。
あたしの今の手持ちには美紀に持たされた荷物と胸ポケットにある、見た目は記録媒体のような霊を武器に変える装置。
いまだにどうなってるのかわからないけど、理屈抜きに扱えるから使ってきた。
なんでこんな便利そうなものをついでにってくらいで気軽に渡せたのかしら。
一応何かあった時の為に持ってはいるけど、あんまり使いたくないわね。剣は。
手持ち無沙汰なものだから、それを取り出してよく観察してみようと思ったところで。
「お、まだ持ってんの? ちょうど良かった」
急にふりむいたパクティがあたしの手の中にあるものを見つけて笑った。
こいつが笑うと馬鹿にされたような気がしないでもないけど……これは先入観だわ。
実際には笑ってる本人は馬鹿にしたような笑みを浮かべちゃいない。にっこりとしたようなだけよ。
今度は不意にパクティが手を出した。渡せ、ってこと? この場合返せってことになるのかしら。
どういうつもりなのかはかりかねて、あたしはパクティを見つめ返した。
いつのまにか、洞窟の奥までたどり着いたみたいね。目の前は行き止まりになってる。
でも洞窟の中で明かりもないのにパクティの顔がよく見えた。
「ちょっと借りる」
……。ああ、そう。あたしは装置を持っている手のひらを広げた。装置をパクティが取る。
あたしの物ってことなのね、これはもう。遠慮せず使えとそう受け取っていいのね。
なんだかね。あたしはため息をつこうかと思った。なんとも言えない。
よくわからないんだけど、でもイラつきとかそういうようなものとは方向が違う。
「……って何してるのよ」
気にしないように、視界からはずらしてたから気づくのが遅かったけどパクティは首を捻っていた。
ただそれだけ。と言っちゃえばそれで終わるけど、視線の先にはあの装置があるんでしょう。
使うというか装置を武器にするには霊がいなくちゃ始まらない。そうじゃなかったかしら?
それはなぜか……あたしは記憶をまきもどしていく。誰だったかしら、あの植物っぽい人間。
名前はともかくあの植物みたいな格好した人間と対峙した時にこの装置の扱い方を知ったような。
記憶が少しあやふやになってて扱い方を教えてくれたのは誰だったか……
今となって覚えてるのはパクティがあたしになら使えるとかどうとか言っていたような事くらい。
まあそのことはどうでもよくて。近づいて背中から覗きこむとパクティは剣の柄だけ握っていた。
そう、剣の柄だけ。見えない刃なのかほんとに刃がないのか知らないけど、とにかくそれしかなかった。
かなり間抜けね、これ。それで魔物が今ここで出てきちゃったらどうすんのよあんた。
パクティはじっとしていて動かない。目線と剣の柄を握っているその腕しか動かさない。
柄しかない見た目はなまくら刀以下の剣を刃があるかのように、行き止まりの岩肌に突き立てるように向けた。
『 』
何? さっきの音。岩が欠けるようなものだったけど……音がしたのは行き止まりの場所からだった。
どういうことか目の前の岩盤がゆっくりと砕けていっていた。ボロボロと、腐食されているかみたいに。
物を腐食させるのは酸素だけど……でも、崩れいくのは行き止まりになっている場所だけ。
こんな不自然なことがあるわけない。魔法を使わない限り幽霊だって出来ないわよ。
ゲームのダンジョンじゃないんだから、仕掛けが組まれているわけないじゃない。
パクティは魔法を使ってる様子もなかった。魔法の世界でも解けない謎はあるものかしら。
こいつは刃なし柄のみの折れた剣みたいなのを持ってるだけなのに、どうして。
あの装置は無の存在に近い霊をもとに存在感ありありの武器にするものだけど。
形が中途半端なのは何故? あたしが使った限りだとあんな風にはならなかったのに。
ボロボロと崩れていた岩は大きく穴が貫通したところで剣がパクティの手から離れて止まった。
行き止まりだと思ってた道は薄い岩壁で隔てられ、塞がれていただけだった。
なんでこいつがこの洞窟の構造を理解してるわけ? もともと腑に落ちないことばっかする奴だけど。
仕掛けにはタネがあるものだけど。挑む側が洞窟の構造がどうなってるのかて知ってるなんておかしくない?
「鈴実、はい」
「ちょっ……ああ」
振り向いたパクティに左手首を掴まれ、もとに戻った装置が左手に落とされた。
「じゃ、俺はここらへんで帰るわ。そろそろ気づかれる頃合いだし」
あたしに背を向けてパクティはもと来た道を帰っていこうとする。謎を残したまま。
「ちょっと待った。あんたはどうしてこんなことするのよ」
疑問をひとつにしてきいた。今の行動が理解できない。あたしにとっての不利益がまったくなかった。
あたしの邪魔になるものを取り除いたら消えるなんてあたしに都合がよすぎるわよ。
これじゃこいつがあたしをここまで連れてくる案内人でしかないわ。
「鈴実は失いたくないからな」
「なっ……」
そんなあっさりと、言わないでよ。敵対する以上、いつかはどちらかが消えなきゃならないのに。
「欠けていた歯車は分裂しはしたが、戻ってきた。それによって節目を迎えた」
振り向かず、右手をひらひらさせながらパクティはそう答えた。
「もう少しで求めていた答えに辿りつく。鈴実たちのお陰だよ」
「……これが無償の礼だとでも言うつもり?」
「いや。単なる好意でしかないさ。鈴実のことが好きだって、言っただろ?」
その時だけパクティは去る足を止めて振り返った。あたしに笑いかける紫の瞳に危険さは微塵もない。
……暇人ってだけなんじゃないかって気がしてきたから、こいつは暇人ってことにしようかしら。
呆気にとられていたあたしはまるまるパクティを見送ってしまった。
理解、できない。敵なのになんで失いたくないとかそんなことはっきり言ってくれるのよ。
あたしがあいつにとって良い意味での特別な存在とは思えないのに。
待ってよ、あいつさっき、あたしは失いたくないって。あたしだけは?
あたしさえ生きてれば良い、裏を返せばあたし以外はどうなっても良いってこと?
でもだからって今から清海たちに何か仕掛けるとも思えない。……ただ、帰るだけよね。
先に進まないと。いつまでもあいつのことを気に掛けてる場合じゃないわ。
この洞窟の奥へ進んでいけば何かあるかもしれない。だけど何が出てくるにしても不安はない。
あたしには魔法と霊を払う力があるんだから、一人でも大丈夫よ。
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